日常コラム
時を越えて~千年前の月と漢方~
千年前とほぼ同じ月
今日(2024年11月16日)は、
「この世をば 我が世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも 無しと思へば」
と詠んだ藤原道長が眺めたのと同じ月を見上げることができるのだそう。
この歌が詠まれたのは、藤原道長が権勢の絶頂にあった寛仁二年十月十六日(1018年11月26日)とされています。2024年11月16日も陰暦十月十六日とか。
歌の解釈は色々あるようです。
少し欠けた月も満月だと思って眺めよう、欠けているところがあったとしても、満月だと思って眺めようという意味かと私は感じました。
藤原道長は、今年のNHK大河ドラマでは、柄本佑さんが好演されています。
雅な平安貴族が眺めた月を、千年の時を超えて、ほぼ同じ月と思い見上げる、風流で心が潤う感じがします。
時代を超えて
漢方の世界でも長い歳月を越えて、繋がっているような感覚になることがあります。
普段、私達は「傷寒論・金匱要略」という古典を中心に漢方を学んでいます。それは約1800年前に自身の親族が流行り病で亡くなったことを嘆いた張仲景という人がそれまでの医書をまとめたバイブル的書物です。
この「傷寒論・金匱要略(そのもとは傷寒雑病論という)」が日本に渡ってから、多くの先人たちがこれを元に学び、研究し、多くの病人を救ってきました。
この「傷寒論・金匱要略」の記載は、現代の私達には分かりにくい部分が多々ありますが、それでも、というか、だからこそ学ぶわけですが、その進度には個人差がでてきてしまいます。
江戸時代でもそうだったようで「医経解惑論(いけいかいわくろん)」の著者である内藤希哲(ないとうきてつ)は、その著書に問答形式で解説している部分があり、傷寒論・金匱要略をちゃんと学んでいない医師などをけちょんけちょんにダメ出ししています。
そういった箇所では「すみません…💦」と江戸時代の先達に叱咤されているように感じます。これは江戸時代の記載を現代語に意訳された小曾戸丈夫先生の手腕かもしれませんけれど。
1800年前の書物から、脈々とつながっている先人たちの教えを享受できることはとても貴重なことなのだと感じます。
今日の月が約1000年前とほぼ同じ、というところから私が感じた日々雑感でした。
月を愛でつつ帰宅します。
本日も最後までお読みいただいてありがとうございました。